2005年12月 1日 (木)

Sura ya 10 This is Adventure!?(後編)(17.Nov.2000)

前回までの話
~初めての宿泊有りの
Study Tourに参加した.
 乗ってきたバスは故障ばかりで,移動に費やす時間の半分以上が修理に費やされながらもどうにか事故無く
Tourを続けられている.
 
Arushaに戻る4日目を迎えても車のトラブルは続き23時近くになっても街の明かりは見えない路上で止まったまま.
 さすがにこれは駄目だろうと車中泊を覚悟しウトウトし始めた頃突然バスは動き始めた~

<4日目の夜>
 ヘッドライトを直したのかと思ったらそうでもなく,結局直す事は出来ず助手席の生徒が懐中電灯で照らしながら走っているとの事.
 自分がヘッドライトが壊れた瞬間に思いついたアイデアに3時間半経ってやっと気付いたようである.
 いろんな意味で「さすがTanzanian!」と感心してしまった.

 普通ならこれで無事に宿泊先に着くのだが,麻雀と一緒で一度出来た流れはどうにも止める事はできないらしい.

 15分くらい走るとヘッドライトがついていないとのことでパトカーに捕まってしまった.
 が,事情を説明してどうにか20分後に許してもらえたようでそれからはパトカーの誘導に従って街まで行くことが出来た.

  やっとこのオンボロバスでの移動が終わった・・・

 結局女子の宿泊先の学校に着いたのは0:45で,男子の学校には行く事が出来ないのでバスの中で寝る事になった.
 隣に座っていた女生徒もバスから出て行き「これでゆっくりできる」と思いながら夢の世界の中に入って行った.

1001  しかし「Tule!」と突然2時に起こされた.
 Tuleと言うのはスワヒリ語で「ご飯を食べよう」と言う意味なのだがこんな時間にご飯を食べる訳無いし,似たようなスワヒリ語でTulale!「寝よう」と言うのがあるので,寝ぼけていてそれを聞き間違えていて「これから学校に移動してベッドで寝られるんだな」と思っていたのだが,やっぱり「Tule!」と言っている.

 どうやら本気でご飯を食べようと言っているらしい.
 23時頃ビスケットを食べていて特に空腹ではなかったので先生に「満腹だから」と断ると「何を食べたんだ?」と真剣に聞いて来た.
 「さっき自分がバスで配っていたビスケットは夜食用ではなかったの?」と聞いたのだが「違う」ときっぱりと否定された.

 「よくこんな時間に食べようと思うな」と思いながらも,自分もそれ以上何も食べられない訳でもなかったので取敢えず学校の食堂に入ると生徒が本当にご飯を作っていた.

1002 1003  おしゃべりしながらご飯を食べている生徒達を見ながら「前日の6時からほとんどまともに寝ていないはずなのに本当に彼等は元気だな」感心すると共に「よくあれだけ多くのご飯(お皿山盛り)をこんな時間に食べられるなぁ」と思いながらご飯を食べ2:30頃バスに戻って再び夢の世界へと入っていった.

 取敢えずどうにか無事に4日目も終わった.

<5日目>
 Tangaへ帰る日であった.
 先輩隊員に借りた毛布と寝袋を昨日返す事が出来なかったので,先生と一緒にタクシーで先輩宅に返しに行った.

 果たしてあのバスで無事に帰れるのか?と思いながら学校に戻ると,何と普通の乗合バスが止まっておりそれで帰るとの事.
 お陰でこの日は何のトラブルもなく無事Tangaに帰る事が出来た.

終わりに
 ~今回の
Study Tourでは初めて寝食をTanzanianと共にして彼等のいろいろな面が見られとても有意義であった.
 特に彼等の食欲には恐れ入る.女生徒でも平気で皿に山盛りのご飯を食べるのだから・・・
 来年も場所を変えて同じような企画があるようなので,今からとても楽しみである.~

最後に

  車や電車はトラブルが起きない方が奇跡なのです.
  
Tanzaniaに限らず移動をする時には時間に余裕を持ちましょう!

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2005年11月30日 (水)

Sura ya 9 Hide alinipa "peke yangu"! (11.Nov.2000)

0901  先月下旬に,日本の友達からTanzaniaの子供達へと言うことで着なくなった女性もののスーツ,セーター等が届いた.
 早速郵便局に取りに行って帰ってくると,丁度隣の家の4女(4歳)が遊んでいたので試着させてみることにした.
 なかなか立派なスーツだったので少しは喜ぶと思ったのだが,Birth day cardの時(Sura ya 5参照)と同様にやはり彼女もそういう表情は全く見せなかった.
 そのまま持って帰らせても良かったのだが,後で他の服もまとめてあげようと思いその場ではあげなかった.

0902  翌日の夕方,ママのところに持って行くと4女の昨日と同じ澄ました表情とは対照的に"Nzuri sana!(素晴らしい!)Hide!!"を連発しとても喜んでくれた.
 その様子を洋服を送ってくれた友達に知らせるためにカメラを構えると4女にKissするポーズまでするはしゃぎぶり.自分まで嬉しくなってしまった.
 一方で写真でもわかるように4女は相変わらず喜んでいる様子がほとんど無い.

 「やはりあまり嬉しく無いのか」と思ってのだが,ママの話を聞くとどうやら違うようで,昨日の夜に4女が「夕方Hideに素敵な洋服を着せてもらい,後で私にくれると言っていたよ」ととても喜んでいたとの事.
 「それならもう少し自分の前でも喜んでくれよ~」などと思ったりしたのが,宗教的なこともあるだろうし,Tanzanianは恥ずかしがりや(彼女はまだ小さいから余計にそうかも知れない)と聞いたこともあるし,そうして考えるとこういう対応はきっと仕方が無いことなのだろうと自分を納得させた.
 取敢えず当面の目的も終えたし別件の約束もあったので3着のスーツを置いてその場を去った.

 夜に用件を済ませて帰って来て家でご飯を作っていると「Hide.2女と3女が泣いているよ」と言いながらママがやって来た.

 「あれだけ良いスーツをもらったらそれは泣いて喜ぶだろう」と思い「そりゃそうでしょ」とママに言ったのだが話を聞いてみるとどうやら違うらしい.

 なんと4女が「Hide alinipa "peke yangu"!Hide"私だけ"にくれたのよ)だからお姉さん達にはあげない.だって私を日本に連れて帰るって言っていたし彼は私のRafiki(友達)なんだもん!」と突っぱねたらしい.
 それを2女と3女がまともに受け「Hideは私たちの事嫌いなんだ!」と思い泣いてしまったらしい.
 (確かに何度か4女に対して「一緒に日本に帰ろうね」と言った事はあったのだが, まさかそれを覚えているとは思っていなかったのでこっちがそれを聞いて驚いてしまった.)

 早速彼女達のところに行って「これらは3人全員のためにあげたんだよ.4女にはまだこのスーツは大きいからもう少し体が大きくなったら着れば良い.」と説得をすると,取敢えず双方ともに納得してもらえたようだったので一安心した.

09040903  その後2女と3女がスーツを着た写真を撮って欲しいと言うのでカメラを構えると何と目の前で信じられない事が起こった.

 一緒に写ろうとした4女をふたりがどけてしまったのである.
 
やっぱりまだ根に持っていたらしい・・・

 あまりにも迫力があり「一緒に」とはとても言える雰囲気では無かったので,取敢えずそのまま1枚写し(画像左)「友達にみんなで写っている写真を送りたいから3人で並んでおくれよ」と自分が哀願する形でやっと3人揃った写真を撮ることができた.

それにしても本当にあの時は恐かった.
まるでドラマの一場面を見ているような女同士の熱き戦い.

みなさんもこういう目に会わないように,子供に物をあげる時には「誰に」と言う事を明確にしましょう!

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Sura ya 8 This is Adventure!?(中編の前編) (4.Nov.2000)

前回までの話
~初めての宿泊有りの
Study Tourに参加した.
 乗ってきたバスは故障ばかりで,移動に費やす時間の半分以上が修理に費やされながらもどうにか事故無く
Tourを続けられている.
 3日目には
Ngorongoroのクレーターに行ったが先生のいい加減な計画により生徒全員が入ることができずにそのうちの2人の女生徒がHostelに戻る途中のバスの中で泣き出してしまった.
 困った先生達は一応の対応策を考え4日目を迎えた.~

<4日目>
 昨日寝たのは12:30過ぎだったのだが今日も6時に起こされた.
 いつもの様にダラダラと無駄な時間を過ごすのかと思っていたら昨日修理に出ていたバスが7:30に来て我々も8:30には出発する事が出来た. 
chai  「こんなこともたまにはあるのか」と思いながら生徒に荷物をバスの上に載せてもらってChai(紅茶.右写真の様に直径約60cmの鍋で作る)を飲んでいると,突然「ウーウー」と自分が持って来た荷物の中の懐中電灯についている護身用警報機のロックが外れて鳴り始めた.
 そのまま荷物の中に入れておいて何かの拍子で再び鳴り始めても困るので,そこから取出して警報機部の電池を抜いて手元に置いておく事にした.

それが後で重要な役割を果たすとは知らずに…

 今日はManyara National Parkに行った.
 珍しく無駄な時間があまり無かったので「今日こそは順調に行くのでは?」と期待をしていると,最初にトラブルが起きたのはもう一方の車で燃料が無くなりそうとの事だったので途中で戻ってしまった.
 「こっちの悪運が向こうに行ったようだから今日は期待が持てる」と思っていると何とすぐにこっちの車にもすぐトラブルが起き後輪がパンクした.
 目的地についた時にはブレーキが壊れていたようで小さな山に突っ込んでかろうじて止まることができた.
 そこには温泉が湧き出ていたので,その見学と修理で1時間くらい時間を潰した後どうにか出発する事ができたが,その後も冷却水の追加等で何回か修理を繰り返しどうにかNational Parkを出る事が出来た.
 小さな街に出てから万全を期すため(?)に修理をして15:30に出発する事が出来たがもうこの悪い流れを止めることはできなかった.

 当然の様に冷却水の追加エンジンオイルの追加.更には荷物の積みすぎで一人捕まってしまった.
 それでもどうにか舗装された道に出て釈放されるのを待った後18:30に再出発することができた.

 これなら先輩隊員の家に21時には着くだろうと思っていると今度はギアが入らなくなってしまった.
 さすがにこれはどうにもならないと思い初めて車中泊を覚悟したが,何と45分後に復活.

 ここで朝に偶然手元に置いた懐中電灯が役に立ったのである.

 「さすがにこれ以上はもうトラブルは起きないだろう」と思ったのだが,世の中はそんなに甘くはないらしい.
 今度はヘッドライトが切れてしまった.
 しかし,これならば全く走れない訳ではない.確かに街灯等はないので真っ暗なのだが,逆にそれが幸いして助手席の人が懐中電灯で照らしながら走れば大丈夫そう. と思ったのだがなかなか発車しない.どうやら真っ暗な道は危険と言うことで発車を見合わせているらしい.
 「おいおい頭を使えよ!」と思ったのだが取敢えずどうするか様子を見る事にした.

 これでベッドで横になって眠れる!

 30分くらいすると,彼等なりに考えていた作戦が実行に移された.
 大きなトラックに我々の後ろを走ってもらいそのヘッドライトで道路を照らしてもらうと言うなかなかのものであった.

 「やるな!Tanzanian」と少し感心していたのだが,すぐにボロが出て再び止まってしまった.
 20分くらいでトラックの目的地に着いてしまったのである.この時すでに21:30.再び他の車を待つらしい.
 ソーダの飲みながら待っていると10分くらいして車がやってきたが,運転手等は気付いているはずなのに何とあっさりと見逃した.
 作戦は変っていないはずなのにその後通る車を捕まえる様子も全く無い.

 おかしいと思い理由を聞くと「大きなトラックじゃないと明るくないから」との事.
 これだけ真っ暗なら乗用車のライトでも十分なはずなのだが,ここも任せてみる事にした.

 が,さすがになかなかトラックは通らない.起きていても仕方ないので寝る体勢になりウトウトしていると,22:45に起こされ先生がビスケットを配り始めた.

 さすがに先生達も車中泊を覚悟したらしい.

 それを食べて再びウトウトし始めると突然車が動き出した.
 時計を見ると23:15.やっとトラックを捕まえたのかと思い後ろを見たが真っ暗なまま.

 理由がはっきりしないので先生に聞いてみると.

 何と!意外な作戦でバスは走り出していた.

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Sura ya 7 再就職先.(28.Oct.2000)

 今週の水曜日にMkwakwani Secondary Schoolの卒業式があった.初めて見る異国の卒業式.スケジュールを見ると10:00~17:00とかなり長いものになっていたので「途中で飽きてしまうのでは」と不安が先に立ったがそんなことは全く無かった.

 と言うことで今回はTanzaniaの一般的な学校(だと思われる)の卒業式の様子を紹介して行きたいと思う.

07kaijo207kaijo   学校には講堂なるものが無いので,会場は普通のホテルの食堂を借り切って椅子は歩いて10分の学校から持って来ていた.

07ryori2 07ryori  その裏に行くと,女生徒達が式後に生徒が食べるためのご飯の準備をしていた.
 勿論メニューはお祝いの時には欠かせないPilau.(作り方は炊き込みご飯みたいな感じで味は炒飯)店では結構食べていたのだが実際に作っているところを見るのは初めてだったので生徒に冷やかされながらも料理方法を勉強させてもらい,レパートリーを一品増やすことができた.

 そんな事をしていて気付いてみるとすでに11時半.しかし,式が始まる様子は全く無い.
 先生に聞いてみても「10時と言うのは目安の時間.African Timeだよ.Hideと当然と言った感じ. 
 結局大体いつもと同じ2時間遅れで式は始まった.

 まずは卒業生の入場.
 この日ばかりはある程度好きな服装ができる様で普段していないネクタイやロングスカート.髪型も油できっちりと固めたりしている女生徒が多々見られた.
 ちなみに男子生徒の方はネクタイをしている程度でこちらは普段とあまり変わらない服装であった.
 その後は何故か公式の国歌では無く非公式の国歌(?)を歌ってから出し物が始まった.

07sotudan07opening    まずは,15人くらいの正装した男女生徒が歌ってステップを踏みながら入場してきてOpeningのテーマのようなものを10分くらいアカペラで歌い始めた.
 いつも思うのだが本当にこっちの人の歌は声量・音感とも素晴らしいものがあり惚れ惚れとしてしまう程上手い. 

 次に日本でもありそうな卒業生からのメッセージに在校生からの贈る言葉なのだが,ここでも生徒達は歌ってステップを踏みながら入場してきて「私たちは学校での生活を忘れない」「卒業生のみなさんの事は忘れないので私たちの事を忘れないで下さい」みたいな歌を踊りながら歌っていた.

 と,ここまでは卒業式らしかったのだが,これ以降何故か急に出し物の趣向が変わり始め違った意味で楽しめた.

 民族ダンスのNgoma
 これはなんとなくやる意味がわかるのだがその次に始まったのは"酔っ払いが主役で何か愚痴を言っているような劇"
 未成年がビール瓶片手に酔っ払いを演じる劇を敢えて卒業式でやる意図が日本人である自分には全く理解できなかったがTanzania人には多いに受けていた. 
 まぁこれも「ちょっと変わった卒業式の出し物」とすればまだわかる.

07geki  そして次の出し物を先生が紹介すると今日一番の歓声が上がった.
 早口だったので自分には理解できずにいると学校の制服を着た女生徒が一人入ってきてみんなの前でちょこんと挨拶をして去って行った.
 「何でこんなので盛り上がるんだ?」と思って舞台の入り口を見た瞬間思わず目を疑ってしまった

 そこには,民族衣装・ラフなスタイル・スポーツのユニフォーム・イスラム信者の黒い衣装・スーツをまとった女生徒達,そして結婚衣裳に身を包んだ男女生徒までいて何と"ファッションショー"が始まった.

07fshow1 07fshow2

07fshow3 07fshow4

 これはさすがに驚いた.
 日本人の感覚では絶対に思い付かない企画である.
 どうしたら"卒業式でファッションショー"という考えが成り立つのであろう?
 強いて挙げれば「もう卒業だからこんなファッションを自由にしていいよ」とアピールしたかったのであろうか?
 「さすがAfrica.次は何だ?」と期待したのだが,今度は一転して来賓の挨拶,送辞に答辞と音楽も踊りも無い日本のそれと全く変わらない光景が展開されていった.

07juyo2  そしていよいよ最後の卒業証書授与.
 名前を呼ばれ舞台に上がり証書を授与するところまでは日本と同じなのだが舞台を下りると家族や友人が待っていて彼等にプレゼントを手渡して卒業を祝福するのである.
 卒業する我が子を抱きしめる親の姿は何とも言えず感動的であった.

 以前に参加した花嫁披露式(そのうち紹介したいと思う)の時にも感じたのだが日本でもお祝い行事の時に参加者が直接プレゼント等を渡して祝福する場面がもう少しあっても良いのではないか?

07dance  その後は先生生徒以外は退場してもらい式の前に生徒が作ったPilauを食べ,Discoに様変わりした会場で生徒達と一緒に踊り盛り上がり楽しい一時が過ぎて行った.

 少し忘れかけた日本語でとても長々とした紹介をして分かりづらかったと思うが,画像を多く使用したのでその様子は理解できたと思う.

 日本のきちっとした厳かな雰囲気の中で行われる卒業式もそれなりに良いとは思ったが,Tanzaniaのそれ を見た今はどうしても日本の卒業式は先生のやり易いように作られ管理されたもので,生徒にとって学校生活の最後の思い出の行事に相応しいとは思えない.

 もう少し生徒の立場に立って,どうしたら思い出に残るような卒業式になるか考えても良いのではないか?

 最後に.

 今,自分が教えている生徒の卒業式に出るまで日本に帰りたくなくなった.
 とは言ってもそれは3年後なので任期切れでとっくに自分は帰国しているのだから不可能な話.

 しかし,
 どうしても彼等の卒業を目の前で祝福したい!

 帰国後の再就職先はこの時期に10連休くらいが平気で取れるような企業を選びたいと思う!!

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2005年11月29日 (火)

Sura ya 6 日本に帰りたい!(21.Oct.2000)

 ここ最近急に芽生えて来た正直な今の自分の気持ちである.

 この題名を見て"きっと理由は○○だな!"といろいろ推測した人がいたと思う.
 果たしてそれらが合っているかこれから検証して行きたいと思う.

1.Culture・生活環境の違いについていけない.
 これが海外に長期滞在する人の日本に帰りたくなる最も多い理由であると思われる.
 確かにここでの生活は日本でのそれと比べていろいろな面で不便ではあるが,水と電気はあるので絶対に耐えられないと言うレベルでは全く無い.
 四季が無いので少し寂しい気もするが気候は温暖.食べ物も素材としては日本のそれに決して劣らないし,果物だけを見ればここの方が数段に美味しいと思う.
 これで,車・テレビ・ビデオデッキがあって,スワヒリ語が上手く話せて妻(但し日本人)がいれば,永住したいくらい今はこのTangaと言う街を気に入っている.

2.一人暮らしで寂しくなった.
 これもピンと来る理由のひとつだと思う.
 自分も日本を離れる前に一番心配したのはこの点であったのだが,生活してみるとそんなことは全く無い.
 ここに来てそう言う面では意外と強いと言う新しい自分を発見できた.

3.英語での授業が苦痛になり学校が嫌になった.
 協力隊に合格して参加することを決めた時には「日常会話さえもままならないのに英語で授業なんかできるの?」と不安一杯だったが取敢えず無難にこなしているし,先生が授業をサボっている時には生徒が自分の居室に遊びに来てくれるので学校での生活も非常に充実したものになっている.
 許されるものならば,今教えているForm1の生徒が卒業する3年後まで残りたいと言うのが本音である.

4.競馬を見たくなった.
 自分を知っている人ならばきっとこう考えると思われる.
 確かに先日,大学時代の友達から送られて来た競馬のビデオを見た時には競馬場に行きたくなったが,これは協力隊に参加すると決めた時から諦めていたことなので今回の理由にはならない.
 と言う訳で,そろそろ正解を出すと.

 日本シリーズが見たい!!

 上記の4つの状況は協力隊に参加すると決めた時からある程度想像できたが,さすがにこれは予想できなかった・・・

 野球は「筋書きの無いドラマ」ではなかったのだろうか?
 自分が野球を始めるきっかけになった漫画「ドカベン」にもはっきりとそう書いてあったし「キャプテン」「プレイボール」でも"野球は何が起こるかわからないから最後まで諦めちゃ駄目だ!"と谷口君が言っていた.

 自分の体験からも,「最終回の2死から5点差を逆転される」「なんでもないショートフライを自分がエラーして負ける」「全然期待していないバッターが逆転打を打つ」と言った感じで,予期せぬいろいろなことが起きて面白いから野球を16年間も続けて来た.

 なのに.なのに.

 今年の日本シリーズは

 "2000年に初めてのON対決"

 しかも,それだけじゃなくアメリカ大リーグのワールドシリーズも

 "地下鉄対決"(NewYorkに本拠地を置くYankeesとMetsの対決)

 「何故????」
 「それじゃぁ筋書き通りじゃん!」
 「野球ってそんなものじゃなかったでしょ・・・」
「いくら世紀末だからと言ってもそこまで盛上がるシチュエーションにならなくても良いじゃん!」

 いろいろな思いが頭を駆け巡っていく.

 今,協力隊に参加したことを初めて少し後悔している・・・

 なっちの始球式も見たい!!!

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Sura ya 5 Happiness(15.Oct.2000)

 この国の女性達はとにかく良く働く.
 男尊女卑がまだ残っているせいか道を歩いていても薪集めをしている男性を見たことが無い.かろうじて7歳くらいの小さな子供がやってるのを見るくらいである.

 差別的な表現になってしまうが,女子供の仕事として位置づけられているようである.
 それを結婚しているような女性がやるならばまだわかるのだが,小さな子供から60歳くらいのおばあさんまでが自分達より太い木を斧で切ってそれを頭の上に載せて運んでいる.

 そういう姿や自分が持っても重いと感じる18㍑の水入りのバケツを頭に載せて平気な顔で運んだりしているのを見るといつも感心してしまう.
 そんなたくましさを持ったTanzaniaの女性達だが,一方では庭に咲いているきれいな花を耳にさしてどれが似合うか迷っていると言う全く違った一面もちゃんと持っている.

 先日,学校で宿題のチェックをしていると女生徒が二人やって来て,そのうちの一人が"Naombakadi!"とお願いして来た.(kadi=Card)
 どうやらBirthdayCardが欲しいらしく,一方的に誕生日を告げて恥ずかしそうに去っていった.

 その生徒は学年で上位10人(160人中)の中に入っている唯一の女生徒でそういう事にはあまり関心が無いと思っていたので少し意外であったが,逆にそういう生徒だからこそこういう物を欲しがるのであろうと言うことを改めて感じた.

 こういう点はやっぱり世界共通のようである.

 と言うことで,彼女のために街に行ってBirthdayCardを買おうとしたのだが,とにかくこっちのそれは何故か趣味が悪い.
 すでにCardにたくさんの言葉が書いてあり自分のメッセージを書くスペースがほとんど無い物ばかりである.
 それでもスワヒリ語で書いてあればまだマシなのだが全て英語ばかり.
 結局気に入ったものが無かったので同任地の先輩隊員から折り紙の本を借り,親からは折り紙を送ってもらい手造りのプレゼントをする事にした.

origami  最初は動物でも折ってあげればと思っていたのだが偶然千代紙も送られて来たので,それを封筒にしてその中にメッセージを書き,鶴と象(見てすぐわかりそうな物を選んだだけで特に大きな意味は無い)を折ってあげることにした.

 彼女の誕生日の3日ほど前に他の女生徒に計算をした紙で鶴を折ってあげるととても喜んでいたので,「このプレゼントはどのくらい喜ばれるのだろう?」と思いながら折り紙を折り当日に彼女にそれをあげると,意外なほどに反応はなく"Asante!(Thankyou)"と言って去って行ってしまった.
 少し拍子抜けだったが「まぁこんなものかな」と納得してその後ろ姿を見送った.

 今回の件では人にプレゼントするために費やす時間の有意義さを教えてもらった.

 彼女の名前は偶然にも"Happiness"

 これからはそういう時間も大事にして行きたいと思う.
 喜びの多い人生を送るために.

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2005年11月19日 (土)

Sura ya 4 This is Adventure?(中編の前編)(22.Sep.2000)

前回までの話

~初めての宿泊有りのStudy Tourに参加した.
 乗ったバスには計器が無く不安の中での出発となったが,取敢えず途中故障が有りながらもどうにかArushaに着く事ができた.
 Tanzaniaにおける宿泊有りのStudy Tourの必携品(皿,スプーン,カップ,毛布)を忘れ大変な思いをしたが何とか1日目を終えることができた.~

<2日目>
 6:00出発と言う事で5:00に起こされた.
 5時間睡眠は久しぶりだったのでとても眠かったが,川の水で洗顔,歯磨きをした.
(ここは学生寮のはずだがどうやらトイレ,シャワー,洗面所の水道は壊れて出ないようで,こうしてみんな川の水を利用しているみたいである.)

 すっきりしたところでベッドに戻ろうとすると生徒に「水浴びしないのか?」と聞かれた.
 「ウインドブレーカーを着ても寒いこの早朝にする訳無いだろう」と思ったのだが,その後なんと彼等は気持ち良さそうに水浴びをしていた.

 ベッドに戻ってしばらくボーとした後,たまたまここの学校は先輩隊員がいるところだったので毛布と寝袋を借りに行った.また,4日目はここに戻ってくるらしいので温かいところで十分睡眠を取るため先輩宅に泊めさせてもらう事にした.

 ある程度は予想していたのだが予定を1時間以上も過ぎた7:15頃女子が泊まっていた学校に移動した.
 しかし,そこでも昨日乗って来たバスがなかなか来なくて結局出発したのは12:30であった.

 最初は順調であったがやはり今日も昨日同様車が故障したのでマサイ族の衣装での写真撮影(他の Tanzanianは生徒と先生でこの中にマサイ族はいません)やラクダに乗って競馬で優勝した時の様に ポーズを取っての写真撮影をしたりして時間を潰した.

rakuda_3 masai_3

 2時間くらいで修理が終わりこれで宿泊先に着けると思ったら17:30頃エンジンオイルのパイプ(?)が壊れてしまい,我々が通って来た道にきれいにオイルで線が引かれていた.

oilroad  取敢えずパイプは直ったのだが予備のオイルを持っていなかったし,ここは山に向かって行く途中の道で車通りも寂しいので車中泊も覚悟したのだが,数少ない道行く車全てを止めお願いした結果どうにかオイルを入手する事ができ19:30頃再出発する事が出来た.

 その後も2,3回修理を重ね,その度に車中泊を覚悟したのだが22時頃どうにかYouth hostelに着くことができた.
 結局110kmの道を9時間半もかけて移動した.

 今日は水しか出ないがシャワーがあったのでそれを浴びて24時頃先輩に借りた毛布をかけて寒い思いをする事無く床に就いた.

<3日目>
 6時に起床だったが昼食にするためのジャガイモや肉を揚げたり昨日同様だらだらしていて出発したのは11:30であった.
 昼食を作っている途中に近くにいたヒヒに揚げた肉の3/4を奪われたので嫌な予感がしたのだが,何と迎えに来たのは昨日まで修理に修理を重ねたあのバスではなくかなり新しいバスであった.

 今日はNgorongoroのクレーターに行った.
 6年前と同じ場所で記念撮影をしたがまさかこんな形で再び来ると思っていなかったので何かとても不思議な気分になった.

 最初に管理所みたいなところに行ってこのクレーターについての話を聞いていると,生徒の何人かが次々に体調不良を訴え倒れてしまった.
 今日は何事も起こらないと思っていたのだがこれがその後起きる悲劇の幕開けになってしまったのである.

 説明が終わった後,冷たい風の吹く中昼食を摂りいよいよクレーターの中に行く事になった.
 当然来たバスで行くと思ったのだが,50年前に日本で走っていた様なぼろぼろのバスがやってきて,それでクレーターの中に入るとの事.

 我々はバスの他にもう一台のワンボックスカーも一緒だったので「全員乗れるの?」と不安が走ったが,その予感が見事に的中しクレーターの中に入れない生徒が何人か発生したのに出発してしまった.
 時間が16時とかなり遅かったので前回来た時のように動物をたくさん見る事はできなかったが,それなりに満足して生徒が待っている管理所に戻った.

 すると,クレーターに入れなかった女生徒が待っていたバスの中で泣いていた.
 これにはさすがに先生達も応えたようで,帰りの道中は異様な雰囲気に包まれていた.

 Hostelに戻り先生にこういう事態になった理由を聞いてみると,クレーターに入るためのバスの定員は予めわかっていたのに,交通費を捻出するために生徒を増やしたとの事だった.
 ここに来ればこういう結末になるのはわかっていたはずなのに,生徒の気持ちを顧ず一人当たりの予算を抑えるためだけにここまでやる先生の決断に変な意味で感心してしまった.

 しかし,そんなことばかりも言っていられないので彼女達に対する今後の対応を聞いてみると「Arushaの近くに別のNational Parkがあるからそこに連れて行こうと思っている」との事.
 あまり現実性が無い案だが取敢えず対策は考えているようであった.

 いい加減なTanzanianの一面を見せつけられ少し残念な気分で床に就いた.

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Sura ya 3 This is Adventure?(前編)(15.Sep.2000)

初めに
~ このシリーズは8/31~9/4にかけて行われた学校の公式行事"
Study Tour"(日本の学校で言えば社会見学のようなもの.ただし,当校ではGeographyの授業の一環として行っている)での出来事を,とりとめ無く書いたものである.
 題名は"
Adventure"であるが"Tour"に行ったのである.
 だから本来は"
This is Tour!?"となるところなのだが,今回はこの5日間事ある毎に同僚の先生が自分への慰めの言葉として使った "This is Adventure! (So don't worry!)" と言う台詞を題名にしたいと思う.~

 出発の日の朝,珍しく小雨が降っていた.
 思えばこれがいろいろな事が起きる前触れだったのだろうか.

 集合時間は7時であったので5分前に着くように学校に行ったのだが予想通りほとんど人はいなかった.
 待ち時間の間先生達と話していると「コートは持って来たか?」と聞かれた.
 これから行くArushaと言う街はここTangaよりは寒い事はわかっていたので,家を出る前にウインドブレーカーを持って行こうと思ったのだが「日中はそんなに寒くないだろうし,夜になれば宿泊先の建物の中に入るのだから」と言う事で止めていた.
 その旨を話したのだが「Arushaをなめちゃいけない.すごく寒いぞ!」と言うので,仕方無く自転車を借り家まで取りに行った.

 出発は9:30であった.
 中型バスとワンボックスカー1台ずつがあり自分は中型バスの方に乗ったが,運転席を見ると何と計器は取り外されて無く「本当に大丈夫なのか?」と心配が脳裏をよぎった.
 その心配は見事に的中し途中で修理休憩1時間.その後も度々修理休憩を繰返し,結局普通のバスならば7時間半のところ10時間もかけて行った.

 19:30にまず女子が泊まると言うSecondary Schoolに行った.そこの食堂を借りて自分達で夕食を作ると言う手はずらしいのだが,いつもの調子でなかなか始まらない.
 待っている間に先生と話していると,どうも参加する前に想像していたStudy Tourとは少し違うらしい事がわかった.

 と言うのも,この2,3週間前に同任地のK隊員とこんなやり取りがありすっかりTanzaniaStudy Tourのイメージを植え付けられていたのである.

 K隊員:「今度うちの学校でStudy Tourに行くんですよ.それで生徒の宿泊先は教会を使うらしいから私たち先生も
      同じところに泊まるように見積書を出したらHead Masterが怒るんですよ."生徒と先生は差を付けなくちゃ駄目だ"って」

 自分 :「で,どんなところって言っているの?」

 K隊員:「一人30,000シリング(約2,500円)は使えって」

 自分 :「それはすごいね.30,000シリングって言ったらかなり高級なところに泊まれるね.自分達でさえ普段使わないような.

 K隊員:「Tanzanianは見栄っ張りなんですよね!」

 だから,自分も先生はホテルに泊まれると思っていたのだがうちのHead Mistressは彼女のHead Masterとは違うようで生徒と同じSecondary SchoolDormitoryに泊まるとの事.
 確かにこのStudy Tourは4泊5日で20,000シリングなのであまり期待はしていなかったのだが・・・

 話は戻り,食事の支度は22時頃終わった.
 ここでまた新たな事実が発覚して困ってしまった.

 なんと生徒達はみんな食器・スプーン・コップを持参していたのである.
 確かに自炊なのだから当然なのだが,前述の様に完璧に誤解していたので仕方なく生徒が使った後のものを借りながら5日間過ごした.

 23時頃男子が泊まるSecondary Schoolに移動した.
 ここでも新たな事実が発覚した.
 しかも食器の様に人を頼りにする事ができないような.

 Dormitoryには2段ベッドが所狭しと並んでいてそこにはマットレスがあるだけ.

 そう.毛布が無いのである.

 当然勝手がわかっているTanzanianは全員それを持参していて,中にはシーツまで持って来ている人も.
 「そんな必要があるなら出発前に教えてくれよ!」と少し思ったがウインドブレーカーを着て,ズボンを2枚はいて24時頃寝た.
 それでも夜中は震えるほど寒く何回も目が覚めてしまった.

 Adventureはまだ始まったばかりである・・・

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Sura ya 2 1周年(9.Sep.2000)

 "1999年9月9日"

 9が揃ったこの日は「99年9月9日に9人で再出発!」と新メンバーを加えたモーニング娘。が「LOVEマシーン」を発売した日だった.
 最初この曲の振付けを見た時は「なんだこりゃ?」と思っていたのだが,年末のレコード大賞で何かの賞を取ってしまうのだから世の中わからないものである.
 彼女達にとって1年前の今日はTurning pointになったわけであるが,実は自分にとっても同じ意味合いを持った大事な日である.

 青年海外協力隊の訓練が始まった日なのである.
 最初に二本松駅に着いて女性隊員の多さに驚いたのがつい昨日の様に思い出され,改めて月日の流れの速さを感じてしまう.
 訓練は79日間と短いものであったが,いろいろな年齢・職種・経歴の人達と寝食を共にして,たくさんの事を学ぶ事ができた.人間関係だけではなく,あまり到達点は高くないが英語もそれなりに上達したし本当に充実した日々であった.
 人によっては「あんな毎日はもうこりごり」と思っている様であるが,自分はいろいろな人と知り合えるのでもう一度訓練を受けても良いと思っている.

 さて,二本松訓練所には200人もの隊員候補生がいたので名前のあいうえお順で12の班にわかれていた.
 自分の属していた班員17名はそれぞれがE-Mailアドレスを持っているので時々やり取りをしている.
 痩せた人,太った人,忙しい人,忙しくない人,それぞれいるようであるが取敢えず全員が任国で頑張っているようである.
 (マラウイ,ボツワナ,中国 各2名,タイ,マレーシア,ラオス,ヴェトナム,ザンビア,ケニア,モロッコ,カンボジア,ジョルダン,フィリピン 各1名)

 また,班員以外の同期隊員からも手紙,E-Mailで苦労がありながらも頑張っている様子が伝えられてきている.
 任国外研修旅行という制度があるので中には派遣中に会える人もいるが,全員が帰国している(と思われる)再来年2月の再会が今からとても楽しみである.

 1年前の今日の夜.
 初めての訓練所のベッドの中でTanzaniaでの生活をあれこれ想像していたが,今のところそれよりもはるかに快適で充実した日々を送る事ができている.
 この調子で残り1年3ヶ月やっていきたいと思う.

 世界に散らばっている平成11年度2次隊のみなさん.
 病気怪我に気をつけて残りの任期頑張りましょう!

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2005年11月17日 (木)

Sura ya Kwanza 同じ星(21.Aug.2000)

 このキーワードを見て"歌の題名だ!"とわかる人はまずいないと思う.
 何しろ初めてこのTangaで,この歌を知っている人に出会ったのだからかなりマイナーだと思われる.

 Jangle Smileと言うグループの歌でメロディが気に入っているのだが歌詞もまぁまぁで,その中に,こういうフレーズがある.

   "離れた空の下で,同じ時,同じ星を見上げてため息ほらしてたかもね"

 Tanzaniaに来て8ヶ月.日本で見える位置とはかなり違うさそり座やオリオン座を見る度に,この歌詞の様に「あの子も今この星を見ているのかな?だけど時差があるからもう寝ているだろうな」等と少し日本を思い出しながら,大きな病気怪我無くここまで過ごして来た.
 残りの任期もこの調子で頑張って行きたいと思う.

 さて,かなり前置きが長くなったが本題に入ると.
 先日ダラダラ(Tanzaniaに走っている乗合いワンボックスカー)に乗っていると後ろにいたおじさんが「お前は何人(なにじん)だ?」と話しかけてきた.
 いくつかの問答があった後,結局初めて会ったTanzania人と話すと,まず間違い無く行き着くここで嫁さんをもらっていったらどうだ?」という話になった.
 確かにこっちの女性は異常な程によく働くので良い奥さんになるとは思うのだが,その気は全然無いので「残念ながら日本に彼女がいるんだよ」といつもの様に断った.
 すると今度は「黒人をどう思うか?」と言う話になり「アパルトヘイトを知っているか?何で同じ二つの目,一つの鼻,一つの口,二本の足,二本の手があるのに,白人に奴隷扱いされなくてはならなかったんだ?我々は同じ地球(星)に住んでいるんだぞ!空の色,海の色,土の色だって同じだろう」と捲くし立てられた.

 確かに彼の言っている事は全然間違っていないし学生時代に勉強した時も「黒人を人種差別する南アの白人はとんでもない!!」と思ったものである.
 勿論"自分が人種差別なんかする訳はない"と信じていたのだが,どうも彼の話を聞いて以来自分に自信が持てなくなってきた.

 ここの子供達の90%以上は我々を見ると「○ナ」と叫ぶのだが,その一言に自分はカチンとくるのである.
 一方で「ムズング(mzungu(白人))」と呼ばれても何も感じない.

 これでは,自分では意識していなくても"心のどこかで「○ナ」を見下している"と言われても仕方ない状況である.
 実際はそんな事は少しも思っていないかもしれないがそういう誤解を招く可能性は十分にある.

 これからは「○ナ」声をかけられても"かわいい子供達の間違い"と広い心で受け取って行きたいと思う.

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